宮沢賢治の作品を読んだ方はわかると思うが、宮沢賢治の作品の中には鉱物や宝石が多く出てくる。その神秘的な鉱物の雰囲気をとらえた表現は鉱物の楽しさを探求する心そのものである。と僕は思う。
探究心を刺激するのが山に登って行う鉱物採集であった。
ただ、登山をしながら山の景色を見るのもいいが目的や”探す宝”がもう1つくらいあってもいい、と思う。小学校に入った僕は当時、山の登山ばかりに連れて行かされたが、そこで面白い方と出会い、その楽しさに一気に魅了された。山梨の塩山で水晶山に登りながら、水晶の小さな1cmくらいの結晶を見つけた。宝探しに似た感覚は今でもはっきりと覚えている。
その面白い方というのが、現在74歳ながら少年のような目と心を持ちその探求心から研究を続ける堀秀道先生であった。
小笠原諸島には鉱物学的に歴史のある石が眠っている。それが『ペリーが日本へ持ち帰った黄鉄鉱』である。これは日本の鉱物として第一号の認定であり、名だたる国内で算出する鉱物の第一号の認定であった。
意外と、山梨の水晶や秋田の金などが国内産鉱物認定第一号だと思われやすいが、国内産鉱物認定の第一号の歴史は『小笠原諸島、父島からペリーが持ち帰った黄鉄鉱』が認定第一号である。当時、小笠原諸島に立ち寄った際に欧米系のナサニエル・セボレーとの交流のあったペリーが日本へ向けてその黄鉄鉱を持ち帰った。
その黄鉄鉱を眺めるだけで、当時の人々の発見の驚きと探求心に満ちた気持ちを感じることが出来る。
さて、宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか?である。
それは石は人間の文化と深い関わりをもつからだ。新潟県のヒスイ輝石は縄文時代には勾玉として、エジプトでは、クリソコラが貴重とされ、ミイラとともに埋葬された。クリソコラはアイシャドウとして世界で初めての化粧品とされた。宮沢賢治はその作品に鉱物を多用した。なぜ彼は、それほどまでに石が好きになったのか? 「石と芸術家の物語」はその大きな探究心にこそある。
芸術家と石には密接な関係がある。それこそ、”美を求める探求心である”と思う。自分は山登りも好きだがよく「山は男のロマンだ」などというが、それも探求心にこそあるのではないかと思う。
それに付随して鉱物学という「ただの石」を求める探求心は芸術家の領域にさえあると思う。付随性とは(英:スーパーヴィーニエンス、Supervenience)、哲学(その中でも特に心の哲学)で使われる用語で、異なるレベルの特性の間に定義される強い依存関係のことである。
つまり、”芸術家と石と山好きは鉱物好きである”=”それは大きな探求心を持つ人間が多い”という特性が浮かび上がる。そうゆうくくりでは、自分も大きな探求心を持った人間のようである。(←これが言いたかった為のむちゃくちゃな理論でした 笑)
しかし、親父からの電話で『珍しい石拾ったから送るよ!』というのが何よりも嬉しいのは自分くらいだろう。 いや、堀秀道先生も宮沢賢治も気持ちは自分と同じに違いない。鉱物好きにしかわからない何ともいえぬ喜びである。その鉱物の結晶を眺めているだけで様々な創造が書き立てられ、気がつけば石を見て2時間過ぎていた・・・なんて良くあることだ。
今、一番行きたい山は?
と聞かれたら『富士山の次は、宮城県の雨塚山だ』と答えたい。
2008年9月
堀秀道:『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』



























