南 瑠衣@小笠原環境メッセンジャー[ルイいる?blog]
このblogは小笠原環境メッセンジャー@南 瑠衣が自分なりの視点で環境問題を伝える日記です。 清掃活動や環境イベントなどの様子を、随時報告します。
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2008年 12月 01日 (月)
テーマ : つぶやき - ジャンル : 福祉・ボランティア
【他人が交錯する通勤電車にて】

僕たち人間は吐き出されたゴミのように休日ともなると朝から電車に乗り込み、ギュウギュウに積み込まれて移動し少ない休日を過ごして、また会社へと向かう。一人ひとりの命が大事だ、なんていうけどこんなにも多くの人間がいれば隣の人は当然他人で、お互い意識の疎通なんてないに等しい。疎遠なのがまぁ当たり前。所詮はどこか他人事で冷めている。満員電車に揺られ押し潰されていると他人なんてどうにでも良く思えてくるし、ひとりひとりの命なんて押し付けがましい迷惑にさえ感じてしまう。それくらい人間嫌いなのかと思えば必要とされたくて寂しがりやで誰かがいないと駄目になってしまうなんとも自己中心的でワガママな生き物だ。こいつら全員が生き物として生きてゆく上で環境を破壊しているというのだからひとりひとりがどうのこうのというよりは、人間たちが愚かでどうでも良い存在だ。他人と他人が電車という空間で一緒になっても存在意識すら個人的で各々が好き勝手である。

人生とは電車の中の様子を凝縮したようなものであり、電車の中の様子がまた人生のようなものである。電車の中、つまり公共の社会でこれだけ多くの他人が交錯し、乗り換えてゆく。その電車の様そのものが人生の縮図のようなものである。電車の中でひた向きに勉強をするものもいれば、足をおおっぴらに広げ、我が身を誇示する者もいる。化粧をするものもいれば、パンをかじる者もいる。誰かが電車内は人生の縮図をみているようだ、と表現したがそれはまさに各々の生活の延長が電車内の中での過ごし方にも現れている。手塚治虫はブラック・ジャックの話の終わりを『人生という名のSL』としている。ブラック・ジャックが電車に乗りこみ車内で様々な今までお世話になってきた者や友人と出会う話だ。友人たちは次々と駅で電車を降りてゆく。現代社会でこれほどの他人が同じ空間に交錯し、あいたがえず別れてゆく電車内。電車といえば、一昔前に『電車男』という物語が流行った。特に関係はないのだが人生の交錯模様のきっかけが電車内であったという事だ。人生とは、走る電車のようなものである。また生きるとは電車内で過ごす僅かな時間。他人が降りてゆく様子。全てが人生である。そう思うと生活の延長を電車内に持ち込む人間も人生の交錯模様としてとらえると非常に興味深いものである。【南瑠衣】

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