南 瑠衣@小笠原環境メッセンジャー[ルイいる?blog]
このblogは小笠原環境メッセンジャー@南 瑠衣が自分なりの視点で環境問題を伝える日記です。 清掃活動や環境イベントなどの様子を、随時報告します。
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2009年 06月 25日 (木)
テーマ : つぶやき - ジャンル : 福祉・ボランティア
僕とオカンに島と、時々オトン

これは親父の耳には入れないで欲しい。
僕は、やはりいずれ小笠原に帰るんだろう。そう思うときが増えた。
僕が死んだらやっぱり、小笠原の欧米系の墓に入りたいし、なにより親父からの電話が増えた。僕だって、長男なのでわかっている。
親父も言いはしないが、自分の血筋で欧米系の小笠原人が途絶えてしまうと思っているんだろう。しかし、それを子供に押し付けちゃいけないって親父はおもっているのもわかっている。

最近、親父からの電話が増えた。
何気ない話で、最近はクジラが跳ねたとか大きなイルカがいただとか今日は雨で船をだせないだとかそんなような話だ。

無言で、親父は語りかけてくれている。

別にどうしようがお前の好きにしろと言ってくれている。
そんなモヤモヤがあって、リリーさんに相談した。そしたら、リリーさんは『お前は渡りに舟だな、恵まれすぎてんだよ』『もうさ、お前小笠原帰って後継げよ』と本気で一晩、相談にのってくれた。
なので、12月に機会もあって1度、小笠原へ帰った。

親父は嬉しそうだった。親父は想像していたよりもあごひげが、白くなっていて、白髪も増えていた。「まるで、白やぎさんじゃん」と親父に言うと「ばかやろー、パパももう若くないんだよ」と言われた。
波止場に迎えにこなくていいといったのに、迎えに来てくれていた。親父にしちゃ本当に珍しい光景だった。

10月に六本木ミッドタウンで写真展をやった。そのときに、親父を野口健さんに紹介した。すると、親父はガラにもなくあの気性の荒い親父が「いつも、息子がお世話になっているようで。本当にありがとうございます」と深々とお辞儀をした。その瞬間、親父はそれなりに自分のことを思ってくれているというか認めてくれているんだと感じた。あの親父が頭をさげて、お礼を言うなんてと少しセンチメンタルになった。

そんなこともあって、リリーさんのアドバイスも受けて12月に小笠原に縁もあって1度帰ることが出来た。親父と過ごす時間はなかなか濃い。
昔に比べて断然、密度が濃くなった気がする。「お前の運転がみたい」と軽トラの運転を任されたり、船で沖に出れば、「お前は3時の方向を見てろ(イルカが出たら知らせろ)」という。たまたま、僕が11時の方向にイルカの大群100頭ほどの群れを見つけた。「パパ、11時!!」というとそちらに親父が船を走らせた。結果、ガイドで1番にイルカの群れに遭遇できた。

それが親父としては嬉しかったようだ。
親父には『お前は海(のガイド)は3年か4年はかかる』と初めて言われた。それでも、嬉しそうでお前目がいいなと言ってくれた。それに、親父なりに、潮の流れと魚と漁場(釣りのスポット)を教えてくれるようになった。この時間に、タコ岩とろうそく岩の三角点にいけば、サワラが釣れるとかいろいろと親父なりに教えてくれている。

で、12月に帰った時。『お前、山のガイドやったらどうだ?』と言われた。「お前はまだ海は危ないから山なら平気だろう」『そうすればパパが海でお前が山のガイドの2つを任せられるよ』とそう言ってくれた。
僕は鼻で笑ってすごしたが、内心あながちなくはないと思った。

いつか、帰るところ。

それが、小笠原諸島なのだ。
こっちで僕が書いた記事や原稿の掲載された雑誌を送ってやると必ず電話がかかってきて「おまえ、すごいじゃん」と言ってくれる。今までそうゆうことはないに等しかった。むしろ、親父は怖いイメージで絶対息子なんか認めてくれないようなタイプだと思っていたが最近、変わってきた。それを僕自身も感じている。

なので、追い込まれているという言い方は良くないがいい意味で小笠原に帰る日を迫られているようだ。しかし、藤沢には芸術家で天才の母もいる。現役で当時倍率40倍の東京芸大の油絵科に唯一・女性で合格し、一躍脚光を浴びた天才芸術家だ。しかし、母は僕や兄弟のために芸術家という道を諦め、美術のいち教員として働いた。最初は誰もやりがらないような養護学校の美術の教師だった。養護学校は、病院と学校がくっついたような場所で消毒液臭い。

養護学校では、たびたび生徒が死んでいった。過酷な現場だ。自分の受け持ちの生徒は白血病やガンで死んでゆくのがわかっていて美術の授業をするという矛盾に家で泣き崩れていたこともあった。自分の受け持ちの生徒が死んだ夜はお通夜に出向いた。それが度々あり、『今日は遅くなるからね。』というのがお通夜の暗黙の了解だった。

そんな養護学校の教員生活を10年以上勤めた。今は普通の公立高校なのでそのギャップにうんざりしている。本当に養護学校にいた頃の方が自分を大事にする子が多かったし価値観もすごく敏感だった。今の公立高校の生徒はおかしい。生きる気力がないし、やる気がない不良ばっかり。そんな愚痴を聞いている。

母は、死んだら小笠原の海に散骨してくれと言う。
どうやら欧米系の墓には無縁のようだ。だが、あの欧米系の墓から見る風景は好きだという。僕も親父もそれは同じだ。小笠原の海が一望できる欧米系の墓地はある意味、血筋の入った聖域の場所だ。

そんな訳で、親父には父の日だが何もしてやれていない。
今度、掲載された小笠原の記事と写真を送ってあげようと思う。それに、珍しく親父のほうから「一族の写真が欲しい」と依頼があったのだ。なので国立国会図書館で、一族の掲載されている複写を送ってあげようと思う。『また、テレビで小笠原がやるよと電話が来た。そっちはどうだい?今度、パッション送るからな』と言って小笠原の香りのするパッション・フルーツを2箱半も送ってきた。

どうやら、少し親父もセンチメンタルのようだ。
僕だって悩んでるんだよ本当に。どうするかね。
でも、その道の選択はお前で決めろと言ってくれている。『俺が死んだら船だけ残してあとは売っ払ってしまっていい』と親父がつぶやいた。

色々、悩んでるんだよね、親父も息子も。それにオカンも。

続く。【南瑠衣】
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