トトロを見て、いまさらながら1つ1つのシーンでおお泣きしてしまった。
いや、これには訳がある。
いまさらながら、トトロの凄さを再認識したのといろいろ自分も関われたんだなっていうのがあって。
昨年、トトロの風景を描く「男鹿和雄」さんを取材させてもらった。
トトロのシーンを1つ1つ、紹介していた。トトロもいた。
たしか、来場者何万人記念とかで、ちょうどタイミングがよかった時に現代美術館へ行ったのが去年の話だった気がする。
サツキがめいを探す背景の1つ1つが、あ、ここはこんな思いで描いてたっておっしゃってたなと思い出したからだ。
それと時期を同じくして、トトロの森財団?みたいなものがあった。
その時、トトロの森が開発か保存かで揺れ宮崎監督も心配していた。
そして、活動のかいもあって、トトロの森は残ることになったのだ。今でも活動されている方々がたくさんいらっしゃる。
その時は宮崎監督に会いたい一心だったが、ふと「いま、会いに行くべきでない」と思ったんだ。それは今まで草の根活動をわけるようにして活動してきたかたがたに失礼だからだ。いきなり、行って「はい、そーなんですか」で記事書くのもどうかと思ったから。
で、トトロの森が守られることになった。
本当によかったと思う。活動されてきた方々のおかげだ。
そういや、愛地球博にサツキとめいの家が展示されたっけ。
あのアニメの中のトトロの少し前の日本はどこへいったのだろう。
自然豊かで人情味のある、不便だけどファンタジーで特に田舎のおばあちゃんの優しさが滲み出ている。あんな日本、少し前の日本の夏ならきっとそこらじゅうにあっただろう。
今の日本はトトロも住めなくなってきたらしい。
猫バスに乗ったこともある。
だけど、猫バスを使わなくても便利な世の中?猫のおんがえしもやってたな。
いや、猫バスはあの田舎だから素敵なのだと思う。
トトロの森は活動されている方々のおかげで守られた。
今ではどんぐり運動なんていうのもやっている。
そのうち、機会があれば僕もトトロの森に行きたいと願っている。
しかし、まぁ。いいもんだね。
あれー、たしかレオナルド・ダヴィンチと宮崎監督について書いたんだよね。
ま、いいや。
トトロや猫バスの住める田舎があってもいいと思う。
みなみ
僕の鉱物ヲタクは半端ない。正直、高田ジュンジのように宝石鑑定士の資格を取ろうかと思うくらいだ。
極端な事をいえば、鉱物や宝石との出会いは運命だ。オパールはオーストラリア、水晶はブラジル。オパールは水の結晶なんだよ。シリカって知りか?水晶もその昔武田信玄は水の結晶だと思っていたようだ。
山の中で出会う水晶がとくに僕は好きなのだ。水晶といえば、山梨だ。山梨の山はすべて制したともいえる?くらい水晶バカだった。なにが魅力って、地球の造形ですもの。
地球の血管が海流だとすれば、鉱物は地球の芸術だ。
そんな地球の日本の山梨の水晶を掘る。拾う。これが運命。スピリチュアルなことは知りませんが、人との出会いと水晶との出会いは似たようなものです。
今、産地の荒廃とマナーの悪い採集者によって産地が荒らされ出入り禁止になった山もあるのが悲しい。「私の子供のころは裏山で水晶の5cmくらいの結晶がごろごろ落ちていて、子供の頃は投げて遊んでいましたよ。当時を考えればもったいないことをしました。」と案内してくれる鉱物学会の爺さんは言う。
山梨といえば、「ニッポンシキソーショー」だ。これは世界に誇れる結晶である。
ひらたくいえば、ハート型の水晶だ。日本でしか、それもめったに取れない。
東京大学の和田コレクションには、今も東大の博物コレクションには迫力のある日本式相晶が展示されている。僕はどちらかといえば、1cmくらいの小さな日本式相晶が好きだ。
ハート型の水晶なんて、女子大生にゃ人気だと思うけどさ。
そんなのも何日探してもみつからない人もいれば、1時間で出会う人もいるから運命だと思う。石には相性ってものがある。
拾うときに、それは拾う側の人間に対して、確実に伝わる。出てこないときは出てこないのだ。かと思えば、休憩中、弁当を食べているとその足元に転がっていたりする・・・そんなものだから面白い。
水晶と人との出会いは運命。同じようなものなのかもしれない。
梅雨の雫に映える紫陽花の彩りが鎌倉で見ごろを迎えている。
6月に入ってから紫陽花は色を付け始めカメラを持った観光客で賑わいをみせている。
明月院(あじさい寺)では色とりどりの紫陽花が見頃を迎えている。
【南 瑠衣】
写真はこちら:http://mixi.jp/view_album.pl?id=16859751&mode=photo
・・・ということで、先日鎌倉までひとっぱしりしてきました。
地元だっていうのに観光客が多いこと。カメラ片手に江ノ電や鎌倉駅周辺は人でごった返す。寺ですら紫陽花より人が多いんじゃないかというくらいです。
やはり、鎌倉〜湘南は自転車に限ります。
ってか自転車で30分で回れる距離だし何より駐車スペースが少ない鎌倉や細い路地には自転車が一番です。
紫陽花をこれでもか!!ってくらいに見てきました。紫陽花でおなかがイッパーイです。明月院はあじさい寺とも呼ばれ、観光客や地元の人に親しまれています。
土曜・日曜は車で来る人が多いですが、オススメできません。
やっぱ自転車でしょ。地元だしw
鐘の音だって聞こえちゃうもんね!!
紫陽花が梅雨の雨の雫に濡れながらもその彩が映えています。
梅雨はウイルスやカビや食中毒で嫌いですが、紫陽花があるので救われます。紫陽花の入浴剤なんてのもあります。
紫陽花といえば、紫式部。
日本の宮城県で採れる紫水晶は紫式部の古の品の良い日本独特の薄い紫が特徴です。水晶の中に紫陽花を閉じ込めたような紫水晶も鎌倉では多く販売されていますが、残念ならがブラジル産です。
車で行ったのですが、すごい人。観光客。(←チャリでいけよw)
そして江ノ島へ。
江ノ島がみえてきた〜俺の家も近い
それにしても 涙が止まらないどおしよう
さっきまで〜俺一人 アンタ思い出してた時 シャイなハートに
ルージュの色が浮かぶ 好きにならずにいられない
お目にかかれて〜〜〜〜
今何時?!!そうね、大体ね〜20時。ってことで帰宅。
魅 奈美
僕らの周りでは環境や戦争が問題になっている
人間が人間である限りこの利己的な問題に対しての解決策はないと思う
僕らに共通するのは同じ時間を過ごしているということ
これだけはいえる
未来は現在が積み重なって過去となってゆく
まじめに働く人もいれば
冒険する人もいるだろう
みんな同じ時間の流れを共有している
ようは同じ時をどう過ごすかで未来が変わる
未来は現在の結果だ
現在が積み重なって過去になってゆく
いわば、未来は僕らが選んでいるともいえる
制御された思考の中では制御された自由の中でしかいられない
ある男は戦場で切迫した
回りを囲まれ殺されそうな雰囲気の中
彼はギターを弾いて大声で歌った
最後の歌だから盛大に明るく歌ったそうだ
すると現地の人は彼を受け入れてくれた
殺さないで人として理解してくれたという
もし貴方が戦場へ行くとしたらどうする?
戦場で平和を歌う人
鉄砲に弾丸を詰める人
負傷者を救助する人
相手を憎しみ同じ人間同士争う人
カメラを向ける人
それには共通したものがある
何かを守るためだ
家族や自分たちの生活を守る為に戦う人もいれば
狂う人もいるし
悪意に満ちた人もいるだろう
人を物として扱う人もいるだろう
人を殺すことが栄誉だと思える人もいるだろう
遠く離れた国から1ドルを手のひらから募金する人もいれば
ピストルを作って1ドル稼ぐ人もいる
戦う人のご飯を1ドル援助する人もいれば
やまぬ銃声に震える子供を1ドルで救おうとする人もいる
遠くの国でお風呂に入る人もいれば
今日生きるための水を求めて必死に生きる人もいるだろう
それがすべて同じ時を過ごしている
すべて同じライン上で経過している時間だ
家族と共にパーティをする子もいれば
瓦礫に埋もれて死んだ両親に必死に泣き叫ぶ子もいる
やまぬ銃声に身を震わせる子もいれば
今日も温かいベットで眠る子もいる
時は残酷だ
こうやってのらりくらり生活している人もいれば
目先の忙しさに現在を忘れ
未来がやってくることを当たり前のように錯覚してしまう
病院で夜明けに息を引き取る人もいれば
会社で夜明けまで働く人もいる
戦場で夜明けまで銃を構える人もいれば
教会で夜明けまで祈る人もいる
毎晩のように電気を大量に使う国もあれば
ロウソクの灯りで毎晩すごす国もある
ビルの明かりがきらめく国もあれば
炎の明かりで祭る国もある
こんなちっぽけな人間一人で何が変われようか
たとえ僕らの現在が変わろうと
彼らの未来の保障はない
いいや、僕らの未来の保障だってないさ
そこんとこが根本的にまとはずれ
僕らが一人行動することが自己満足で終らないよう
世界をかえてゆく
人間は限られた思考の中でしか自由を制御できない
その思考を変える事が出来たのなら
貴方は自由を制御できるだろう
こんな限られた小さな世界の中で
生きているうちに何人と仲良く笑えるだろう
あと何日だ?
あと何年だ?
それは限られているが当たり前ではない
時の流れ
ゆっくりと、でも確実に同じ速さで駆け抜ける
弾丸のように
その弾丸で命を落とす人もいれば
その弾丸を作る人もいるし
その弾丸を援助する人だっている
時の速さはふと懐かしいもので
未来への不安が駆け巡る
だけど進まなきゃいけないという流れ
その流れに身を任せる人もいれば
悩んで立ち止まる人だっているし
ずっと時間だけ過ぎ去りし人もいる
だから思うのだ
自分はどうしたいのか
どうゆう未来がいいのか
想像すること
行動すること
実行すること
世界よ、平和であれ
そしてまた平凡な時間が過ぎ
何も出来ることなく終って過ぎ行く
日常と戦場
富と貧困の個人差の
心のゆとりが人間のゆとり
そして今日もまた朝日は昇る
通勤電車に揺られて朝日を見る人もいれば
働いて朝日を見て帰る人もいるだろう
同じ朝日を戦場で見る兵士もいれば
瓦礫に埋もれた人を照らす朝日を見る人もいる
どうせ同じ時間を過ぎ行くのであれば
どうか幸せな時が少しでも
平等に
なるべく多くの人に
流れてはいかないものなのか
時間の流れもまた天秤のようなものなのか
平和の時間の流れがあれば
戦争の時間の流れがあって均衡を保つものなのだろうか
世界は1つ
世界よ
平和であれ
言葉の刃が突き刺さる
目に溢れる情報は
溢れ過ぎて口から吐き出され
ここへと行き着く
パンク寸前のメモリーは容量一杯で
これでもかと文字の羅列を詰め込める
目に刺さる言葉の刃は
口から指へと
文字の世界へ突き動かす
みなみ
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